こんにちは、リベルタです!
「自分の分身がいたらどうなるだろう?」
そんな妄想をしたことはありませんか?
私は学生の頃サッカーをやっていたのですが『自分が複数いたらどうなるだろう』ということをよく妄想していました。
サッカーは団体スポーツなので味方との連携が重要ですが、当然見方は赤の他人なので意思疎通がうまくいかないこともあります。
そんな時『自分だったらこうしているのに』『自分がもう一人いればもっとうまくいくはずだ』と考えていたのです。
そんな、複数の自分がいる世界に関する興味深い短編小説に「吉田同名」というものがあります。
今回は「吉田同名」という本の紹介に加えて「複数の自分がいる世界」についてお話ししたいと思います。
複数の自分を妄想した時、自分以外の自分に期待してしまうこと
複数の自分(自分の分身)がいたら、何を期待するか考えてみたいと思います。
ここでは、ドッペルゲンガーなどの幻覚は除外し、自分と外見、思考まで全く同じ「分身」の場合としたいと思います。
自分が嫌なことを別の自分にやらせる
例えば、何かミスをして謝罪しなければいけなくなったとします。
自分のミスなので、基本的には自分で謝罪しなくてはいけないはずですが、こっぴどく怒られるかもしれないので当然気乗りしないですよね。
誰だって心の中では怒られたくはないと思っているはずです。
(※特殊な趣味、性癖の人は除く)
そんな時、自分の分身がいて、自分の代わりに謝罪してくれたら有難いですよね。
上記の例のように、自分がやりたくないことを別の自分にやってもらう、という妄想をしたことがある人も多いと思います。
国民的な大人気漫画(アニメ)の「ドラえもん」でも類似の描写があります。
「ネンドロイド」という秘密道具があり、人間と同じ程度の大きさの粘土でできているロボットで、髪の毛を頭部に刺すとその人と同じ知力および体力になる、というものですが、のび太はこれを使って、自分の分身のロボットを作り自分がやりたくない庭の草むしりなどをやらせるのです。
自分の分身がいてくれたらと妄想する一番の理由は、面倒なことはもう一人の自分にやらせて、自分は楽で楽しいことをするためではないでしょうか。
ただ、この妄想は、よく考えると大変自己中心的な考え方のうえ、絶対うまくいかないですよね。
自分の分身もまた自分なので、自分がやりたくないことは分身もやりたくないはずです。
複数人で一人の自分自身を演じる
分身が一人いるならば、分身と自分の二人で一役を演じるということです。
このような妄想をしたことがある人も多いでしょう。
例えば、学校や会社であれば、分身と1日交替で出席、出勤することで、休日を増やして自分の好きなことをすることもできます。
また、作業を分担すれば一人の時より効率的にこなすことができ、一人では無理なことでも力を合わせればできることもあります。
一卵性双生児の双子の入れ替わりドッキリみたいな楽しみ方もできますし、浮気のアリバイ作りなどもできてしまいます。
自分を最も理解してくれる人物として協力する
思考が同じなので、自分と同じ悩みを抱え共感してくれます。自己否定タイプの人でなければ、自分の考えも肯定してくれます。
良き理解者、相談相手になってくれることを期待し、妄想する人もいるでしょう。
また、能力が同じくらいなので、勉強やスポーツなどでは良きライバルになります。特にスポーツにおいては、自分と実力が同じなので、切磋琢磨することで上達速度を上げることもできるでしょう。
ドラえもんでも「クローンリキッド悟空」という、自分の髪の毛から分身を作ることができる秘密道具が登場しており、複数ののび太が協力してジャイアンに立ち向かうという話がありましたが、それはこの協力する自分というのに当てはまると思います。
ただ、自分が怖いもの、苦手なもの、悪癖が共通しており、悪い所も似ているため、使い方を間違えるとうまく行かないというオチでしたが。
都合のいい状況に限定して自分の分身を妄想する
さて、「自分の分身がいたら、どうするだろう、分身に何を期待するだろう?」という例を挙げてきましたが、上記の例には共通点があります。
それは、現状に満足していない場合の妄想なのです。
特に、嫌なことがある時、人手が足りない時など、何か悩んでいる困っている場合が多くなります。
そして、その悩み事を解決するシーンに限定的に分身が登場する妄想です。
あくまで妄想なので、自分の都合の良い場面だけを妄想しても、何も問題ありません。
しかし、科学の進歩、クローン技術の改良により、自分の分身というのは妄想ではなく現実となるかもしれないのです。
その場合、妄想では済まなくなります。もう少し現実的に考える必要が出てきます。
確かに上記の妄想のように、限られた状況では分身がいることは好ましい場合もありますが、不都合なケースも多々あります。
例えば、食事や住居はどうすれば良いでしょう?家族や友人、恋人といった周囲の人達との付き合い方も考えなくてはいけません
リアルに考えると問題も多いのです。
そんな、現実的な目線で見た時、分身のメリット、デメリット、実際に起こりうることを考察しているのが「吉田同名」という本です。
複数の自分が存在することで現実で起こることを想像できる「吉田同名」
「吉田同名」という本は、大まかに次のような内容になっています。
SFとなっていますが、人が増えること以外は特に現実離れした要素はなく、しっかりした考察の中にユーモアが散りばめられた読みやすい作品です。
特に私がこの本の中で興味深いと思った点は、主人公の吉田氏が約2万に増えることです。
通常、自分の分身を妄想する時は、一人か二人くらい増えることを想定する人が多いのではないでしょうか?
私自身、自分の分身が一人だけだったら、どこに住む、どうやって分身と付き合っていくなど想像したことはありますが、2万もの分身となると現実でどんな問題に直面するか考えることも難しくなります。
そして、「吉田同名」の中では、法律上の問題や、世間の反応といった、多数の同一人物が存在することで生じる問題から、吉田氏という個人の資質が大人数になることでどのように相互作用していくかといった、パーソナリティーにより生じる結果についてもしっかり言及されています。
今この瞬間に、見た目も性格も全く同じもう一人の自分が現れたとしても、その瞬間の立ち位置や動作など微妙な差異が生じてきます。
そして、その微妙な差異が積み重なることで、少しずつ自分とは異なる自分になっていくという視点があったり、自分の分身からなる集団での役割の分化など、細かい描写もしっかりしています。
また、自分だけの集団の中での振舞い方、集団の変化については、パーソナリティーの影響が色濃く反映されますが、作中の吉田氏は比較的冷静で合理的な考え方をする人物として描かれています。
しかし『これが感情的な人の場合はどうなるだろう?』といったように、様々な性格と思い浮かべることで作品外で想像して楽しむこともできます。
短編小説として楽しむこともできますが、クローン問題を考えるうえでも役立ちそうな描写もあるので、自分の分身やクローンに興味のある方にはお勧めの本です。
現代科学の延長では自分の分身のようなクローンはできない。似て非なる自分
では、実際に今の科学ではどのようなクローンができるのでしょうか。
「人間がクローンを作ろうとするとどのようなことが起きるか」ということが、以下の記事にまとめられているため、要約します。
クローンで生み出された生物
1996年に生み出された羊のドリーを始め、牛や馬、猫、犬、サルまでもクローンで生み出されています。
種族の近い猿もクローン化できているので人間もできるのでは?と考えられていますが問題があります。
人間のクローン化の課題
猿のクローン化は成功率は約1.6%とかなり低くなっています。
クローン化は、同種の生物の未授精の卵子のDNAを取り除き、そこに皮膚細胞などの核を埋め込む体細胞核移植がよく行われていますが、卵子からDNAを取り除くと成長に必要なスピンドルタンパク質も取り除かれるため胎児の成長が難しくなるからです。
また、仮に成功してうまく成長したとしても、クローンは染色体の収縮が早く細胞の老化が速いため、病気になりやすく早期に亡くなる可能性が高いと考えられています。
自分とは異なる自分
遺伝子が同じでも、胎児の時にどの遺伝子を有効、無効にするかを選択しているようなので、胎児期の環境も一緒にしないと同一人物にはなりません。
また、人格は経験や環境によっても変化するため、瓜二つの自分を求めるのであれば、全く同じ人生経験を積ませる必要があります。
以上の点を踏まえると、自分と全く同じ自分を作るのは、今のクローン技術では難しいのかもしれません。
おわりに
「自分がもう一人いたら」と考えることは面白いですが、現実的にどんなことが起きるかを妄想するのも面白いかもしれません。
その際、自分の考えだけではなく、他者の考え方なども取り入れると、想像の幅が広がり更に面白くなると思いますので、興味がある人は「吉田同名」が短編で手軽に読めるのでお勧めです。
今は妄想で済んでいますが、近年の科学進歩の速度を鑑みると、近い将来クローン人間について真剣に考えなくてはいけない時が来るかもしれませんね。